沿革

母校と本会の沿革

明治34年 4月 1日 群馬県立太田中学校邑楽分校設立
            (場所:館林市代官町 五宝寺本堂)
  35年 4月30日 新校舎へ移転(場所:現館林女子高等学校)
  45年 3月31日 邑楽分校廃止(跡地は館林農学校となる)

大正 9年 1月 5日 館中同友会(分校卒業生)が母校再興運動を起こす
     12月10日 館林中学校設立決議案県議会可決
大正10年 2月18日 群馬県立館林中学校設立認可
      4月13日 入学式挙行(館林農学校内仮校舎)
      5月17日 開校式典挙行(館林町主催祝賀会・提灯行列)
      6月28日 第一回弁論会
     10月31日 第一回マラソン大会(利根川堤防-新宿-館林町-本校)
     11月30日 地鎮祭挙行
  11年 6月 8日 新校舎落成移転(現在地)
     10月30日 第一回陸上大運動会
  12年 7月25日 『大成』創刊
  15年 2月28日 同窓会設立
      3月 2日 第一回卒業式挙行

昭和 2年 9月11日 旧プール竣工・第一回水泳大会
   9年 9月10日 旧校歌制定(作詩:中村 孝也 作曲:井上 武士)
  13年 2月22日 講堂竣工


昭和23年 4月 1日 群馬県立館林高等学校設立
      4月10日 新制高等学校開校式
     12月 1日 定時制課程普通科併設
  24年 3月31日 併設中学校廃止
  26年 4月11日 全日制商業科併設
  29年 4月 1日 定時制課程商業科併設
  31年 3月31日 商業教室竣工
     10月30日 体育館竣工
  33年 4月 1日 万葉植物園完成
      7月10日 応援歌制定(作詩:半田 雅夫 作曲: 原 秀夫)
  36年 4月 1日 新校舎竣工
      5月17日 新校歌制定(作詩:佐藤 春夫 作曲:信時 潔 )
      5月19日 創立40周年記念式典挙行
  38年 1月19日 同窓会大泉支部(館泉会)設立
  40年 4月19日 新プール竣工
  46年 2月28日 夜間照明・撒水装置設置
     11月13日 創立50周年記念式典挙行・記念庭園完成
  48年 3月31日 武道館竣工
  51年 3月31日 定時制商業科募集停止
  53年 3月31日 定時制30周年式典挙行
  54年 3月 1日 新体育館完成
      4月 1日 定時制男女共学開始
  56年 4月11日 同窓会板倉支部設立
     11月27日 同窓会東京支部(東京同窓会)設立
     10月31日 大成会館竣工
     12月 6日 創立60周年記念式典挙行
  60年 4月 1日 全日制商業科募集停止
  62年 2月10日 全日制商業科閉科記念式典挙行

平成 元年11月 7日 同窓会太田・新田支部設立
   3年11月16日 創立70周年記念式典挙行
  10年11月25日 定時制創立50周年記念式典挙行
  12年11月23日 同窓会明和支部設立
  13年 8月23日 同窓会千代田支部設立
     10月20日 創立80周年記念式典挙行
  16年 2月29日 同窓会邑楽支部設立
  19年11月 6日 同窓会足利支部設立
  21年10月15日 同窓会館林支部設立
  23年10月22日 創立90周年記念式典挙行


館林高等学校の成り立ち



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「群馬県立太田中学校」を本校とする「群馬県立太田中学校邑楽分校」は、明治34年4月1日に開校した。それまで館林町には中学校がなく、また鉄道もなかったため、中学校に進学する者は太田に下宿をして「太田中学校」に通学していた。(東武伊勢崎線足利町駅―太田駅間は、明治42年に開通した。)
 「邑楽分校」は「現館林市立第一小学校」の北側に位置する「五宝寺」(館林市台宿町7‐11)に仮校舎(本堂)を設けて開校した。
 翌明治35年4月30日に館林町稲荷郭(現館林女子高等学校)に新校舎を建築し、移転した。


邑楽分校廃校
 ところが、それからわずか11年後、県議会に上程された「学校整理案」に基づき、明治45年3月31日を以て「邑楽分校」は廃止となってしまった。その内容は、「邑楽分校」を農業学校に変更して「館林農業学校」にするというものであった。理由は、当時群馬には分校が数多くあったこと。その反面、生徒の教育上、立派な設備がないことなどであった。農業県でありながら「吾妻農学校」(現中之条高等学校)一つしか農業学校がなく、東毛地方にも農業学校が必要であったことや、経済的な理由もあったようだ。「邑楽分校」より校舎・諸施設・備品等を引き継ぎ、その跡地に「群馬県立館林農業学校」が開校した。


館中同友会

 「邑楽分校」廃校は、卒業生を始め館林に住む者達にとって、大きな衝撃であった。そのため、館林の地に中学校再興しようという運動が起こった。運動を始めたのは、「邑楽分校」の同窓の親睦団体であった「同友会」(母校再興運動を起こしてからは「館中同友会」となる)であった。
 大正9年1月に割烹「魚惣本店」(館林市本町二丁目9‐15)にて行われた新年恒例会において、母校再興が話し合われた。その活動を受け、12月の県議会で「邑楽郡に中学校を設立する建議案」が可決され、「館林中学校」が設立されることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


群馬県立館林中学校開校

 大正10年4月、「館林農業学校」の校舎の一部を借りて「群馬県立館林中学校」が開校した。開校式は、県知事・県会議員を始め多くの来賓を招き、5月17日に挙行された。また、館林駅前には歓迎門が造られ、家々の軒先には旗と丸提灯が飾られた。躑躅ヶ岡公園では来賓を招待して開校祝賀大遊園会が催され、夜には町民総出の祝賀提灯行列が行われた。「館林農業学校」の校舎の一部を借りての出発であったが、翌大正11年には邑楽郡六郷村大字小桑原1241番地に、新校舎が完成した。6月8日に移転し、その後校舎・諸設備等が整えられ、現在の「群馬県立館林高等学校」に至っている。





 

 

 

 

 

 

 


稲荷郭のその後

 稲荷郭の「館林農業学校」も、大正12年には小泉町に移転し、「群馬県立小泉農業学校」(現大泉高等学校)となった。
 残された校舎・諸施設等は、「館林尋常高等小学校」(現館林市立第一小学校)に併設されていた「館林町立高等女学校」が移転し、引き継いだ。「館林町立高等女学校」は移転とともに県に移管し、「群馬県立館林高等女学校」(現館林女子高等学校)となった。


おわりに
 現在「館林女子高等学校」のある敷地は、「邑楽分校」「館林農業学校」「館林中学校」「館林高等女学校」と、複数の学校の歴史に関わった館林の教育史において重要な場所であることが、以上のことから分かるであろう。
 「館林高等学校」の歴史を知ることは、館林に住む者達の教育に対する熱い思いを知ることになる。