萬葉植物園について
(『館林高校萬葉植物園』からの転載)
本校に、萬葉植物園が誕生してから今年の春で満四年を迎えた。植樹をした当時は、樹木も小さくみすぼらしかった。そのせいかただ白い縁石だけが目に映って、一体いつになったら萬葉の名にふさわしい植物園になるのか、と危倶の念もないではなかった。それが、いまはその懸念も一掃され、もろもろの木々はすっかり成長して、萬葉歌を書いた白い立札も繁った枝葉に隠れるほどの立派な植物園となってきた。
造園は、学内の職員生徒挙げての協カと、とりわけ学校長の熱心な支援を受けて、生物科と国語科の職員とが主としてその任に当った。予算・設計・採集・管理・研究等々にかなりの苦心が払われたが、幸い造園にかかるころから地域各方面の注目するところとなり、読売・上毛・産経三新聞は写真入りで大きく紹介してくれた。珍しい植物園としてNHKからの電波にも乗った。ハマユウ・アセビ・サネカズラ・センダン等地域の人たちからの寄贈植物もあった。このような反響と好意に見守られながら、本校萬葉植物園は造成をみたのである。
萬葉植物園の意味と各地の例
「萬葉植物園」とは、遠く奈良朝の昔、450余年にわたる古代の抒情詩およそ4500首を集めて編纂した一大詞華集である萬葉集、その萬葉の歌に詠みこまれている植物を一つの所に集めた植物園、というほどの意味である。こうした植物園の例は、他にいくつか散在してある。
①奈良萬葉植物園
奈良市春日大社境内のほぼ中央にあり、昭和2年春の着手。同7年10月完成。広さ3,000坪。この種植物園の嚆矢として有名。
②越中萬葉植物園
富山県高岡市伏木港一宮にあり、同所正法寺住職道前泰貫氏が独カで同寺境内に造成。31年夏完成開園。
③湯河原萬葉公園
神奈川県湯河原温泉町にあり、園内に萬葉亭と名付ける東屋、資料陳列の萬葉館が建てられ、一帯に萬葉植物を植樹。昭和26年ごろから着手。
④国分寺萬葉植物園
東京都北多摩郡国分寺町大字国分寺にあり、同所国分寺住職星野亮勝氏が独力で同寺境内に造成。読売新聞全国版に大きく紹介されている。
⑤築上西高校萬葉植物園
福岡県築上郡椎田町、福岡県立築上西高校が昭和32年暮から造成に着手。
⑥宇都宮萬葉植物園
宇都宮市東方郊外にあり、下野新聞社社長の肝入りと聞く。
⑦伊勢崎萬葉植物園
同市栄町広瀬川ほとりに造成。県下では本校についで二番目のものにあたる。
⑧野田萬葉植物園
同市清水公園内にあると聞く。
丹念に調べてみれば他にまだあるかもしれないが、現在私の知っているのは以上の8箇所である。学校関係は、九州福岡県の築上西高校だけで、それも着手が昭和32年暮というから、学校関係の萬葉植物園としては、同年5月着工の本校がわずかの差ではあるけれどもその嚆矢の誇りを荷ったことになろうか。この8箇所のうち私は、本校萬葉植物園造成の参考にするため昭和33年7月に国分寺を、同年8月には夏休みを利用してはるばると富山と奈良の両植物園を、同年6月には湯河原の萬葉園をそれぞれ訪ねて見学をしてきた。
造成の趣旨
これら各地の萬葉植物園は、それなりの目的があっての造成と承り、またその趣旨も達成されつつあるとのことであるが、ひるがえって本校萬葉植物園の造成の趣旨は、どの辺にあったか。端的にいうならば、それは、より豊潤な環境の中に学園生活を営みながら、知らずしらず植物を背景とした萬葉の自然に親しませようとする教育的配慮から計画されたものである。校内の環境整備運動の庭園造りから、校庭を散歩すれば気軽に萬葉の名歌が覚えられる萬葉植物園にまで発展したという築上西高校とその精神を同じくしている。偶然といえば偶然の一致であろうが、やはりこういう点が学校萬葉植物園の特色でもあるといえようか。
植物園の敷地
昭和32年2月ごろから具体的に造園計画は進められたが、限られた校地利用という点で問題の多い学校の事業にかかわらず本校はこの点恵まれていた。校門入口西側の学校農場跡を敷地としたのである。この敷地は、昭和16年まで雑木林であったが、「皇紀二千六百年奉祝及び学徒団結成」を記念し、合せて戦時体制下食糧増産運動の一翼を荷うために2反歩の林を当時の職員生徒の手によって開墾し、陸稲・麦・甘藷などを作付した畑で、以後今日まで農業実習地となっていた土地である。ところがたまたま31年ごろから教科課程の関係で畑の必要がなくなり、他に方途転換を考慮中だったので簡単に萬葉植物園敷地に決定したわけである。ただそんなわけで自然管理の手がゆきとどかず丈なす雑草が生い繁っていて、除草にはほとんどの生徒が動員された。しかし根深いヨモギや繁殖力の強いジシバリは根治できずにいまなお悩みの種となっている。
植物園の総面積は、303,27坪(1000,79平方米)である。
設計者と設計
設計は、県立大間々農業高等学校教諭篠原徳之助氏に依頼をした。篠原氏と高野先生とが昵懇の間柄であったからである。篠原氏は、千葉高等園芸学校(現在の千葉大)を卒業後台北帝大の講壇にも立たれた方で、これまでにも県内各地の学校庭園など数多く手掛けられているとのことである。幸い私たちの計画に深い関心を寄せ、心よくその設計を引き受けられた。
〔設計の主旨〕=要点抜粋
1 植物教材園としての一般的手法を採らず、全地域を四つの「口」字形に分割して中央から放射状の路線を入れて、観察と管理に便利な廻遊式手法を採用したものである。
2 園の中央に、十字形の主幹園路を作り、芝のベルト(緑帯)に玉形サツキの列植を配して修飾する。
3 各主幹には、50糎のサイドウエイを設けて植込床の管理手入れの便宜を考慮した。
4 4区分の植込床の中央には中心木として椎の木を配置する。
5 入口と主幹園路の突き当り正面に棚を設けたのは、蔓性の植物の栽培には是非とも必要のためで、平面的な園に立体的なアクセントを与えるためである。
6 この設計は、一見極めて近代的様式にみられるが、萬葉時代の造型芸術の中にこうした左右相称・放射同形的なデザインがうかがわれている。ユニークでクラシックのものの中には常に極めて新しい意匠が感じられるもので、この設計も、新しい様式の中に、クラシックなものを抱含しようと試みたものである。
〔施工方法〕
1 原図に基いて正確に十字形幹線を入れ、四区域を設定する。園路は標準より15糎~20糎の表土を削って、この土を植込床及び緑帯の床土とする。従って路面と床面との差は15糎~20糎程度とする。ブロックの縁取りの高さが19糎であるから、表面に10糎~11糎露出して土止め縁取りとなる。
2 主幹園路と四角の植込床の周囲をコンクリートブロックで縁取りをする。経費の都合で最少限度幹線路の縁取りは必要である。(以下略)
3 縁取り用ブロックはSBブロックで41号のもの、即ち間切り用で40糎~19,7糎~10糎のものでよい。(中略)ブロックの施工に当っては、一直線として継目で曲折せぬように注意することが肝要である。
以上が昭和32年5月15日に送附を受けた「萬葉植物園設計仕様書」の写しである。これに図面と完成想定図面及び工事見積書が添えてあった。
工事着手と請負者
この設計主旨・施工方法に基いて、造園に着工したのは昭和32年5月下旬である。しかし、敷地の東南部にある防火貯水池を避ける必要から、一部に設計通りにならなかった面もある。4区域に分割した植込床のうち、東南部入口左手の植込区がそれである。また園路縁取りのブロックはコンクリートに変え、主幹園路突き当り正面に設ける野外用の机とベンチは時期を待つこととして省いた。他はほとんど仕様書に指示された通りである。すなわち、園の外周は2尺苗の日光桧400本を植えて生垣根とした。中央縁取り円形にはドウダンツツジ、4区分した植込床の各中央にはシイノキを植える。シイノキはさいわい萬葉植物なので好都合である。主幹園路の左右には玉形サツキと玉伊吹の列植をし、高麗芝で緑帯とする。なお中央ドウダンツツジの脇には、校内から水道を引いて蛇口を1箇所設ける。これらがすべて基礎工事である。
工事請負は、市内台宿の青木建設工務所に委嘱をした。
萬葉植物とその種類
移植すべき萬葉植物は、幸いこの近辺至るところに見られる栽培や野生の植物が多い。たとえば、マツ・スギ・カシ・ナラ・ウメ・ヤナギ・アカネ・ハギ・アシ・ススキ・スミレ・ヨモギ・ツツジといった具合にである。しかし調べていくと、中にはこの地方には普通見られない風土的制約をうけた植物もあるし、海藻やホヨ(ヤドリギ)のように植栽の困難な植物もあって、なかなか容易なことではない。また一つ一つの植物についても古来諸説があっていまだに推定の域を出ていないものも多い。この点について若浜汐子氏は、「萬葉植物概説」冒頭に次のように述べている。
1 その実態がまだつかめず、不明ともいうべきものがある。例えばモモヨグサ・イツシバの如きもの。
2 1種類の萬葉植物に数種の説が提示されていて結論に導かれないもの。例えばイチシ・イハィヅラの如きもの。
3 植物と見るか、植物以外のものと見るか意見の別れるもの。例えばツギネの如きもの。
そして同書に、萬葉植物と見なすものの名称として挙げてある184種の中で、「未詳」とされているのが20種、植物かどうかはっきり断定できないものが2種挙げてある。軽々しく扱えない問題をたくさん孕んでいる萬葉植物なのである。
それでは一体、萬葉植物は何種類くらいあるのだろうか。佐々木信綱博士は、157種(草本78・木本74・竹本5)、「萬葉集大成」には、小清水卓二・松田修両氏がそれぞれ分担して計151種(草本82・木本65・竹本4)、松田修氏は別に「萬葉の花」で155種、若浜汐子氏は、萬葉植物かどうか断定できないもの、植物の関係語、同種異名の植物をも含めて184種(草本41・木本79・竹本4)、「奈良萬葉植物園植栽目録」には、167種(植栽困難の植物は入っていない)、また造成に当って助言をいただいた邑楽村中野の新井要太郎氏(34年死去)は155種を数えていた。
植物の採集と寄贈植物
このように研究者によってもその数がまちまちなのでとりあえず採集に際して私たちは、松田氏の「萬葉の花」(昭和32年刊)に紹介されている萬葉植物を参考とすることに決めた。
採集は生物専門の高野先生を中心に生物部員や私たちが指導を受けた。板倉沼や城沼、茂林寺沼に舟を漕いで、フトイ・ヒシ・ジュンサイなどを採った真夏の午後、リヤカーを引いて寄贈の植物をいただきに廻った土曜日。学校の西山でネブを堀った日。植樹目録を手にして附近の野山を捜し歩いた日曜日等々。こうして集めた一本一本が、昭和32年夏から植えこまれて翌33年春までには植栽予定の約半数を移植したのである。移植時期や管理の不手際で、枯死して再度植え換えたものもあるが、自慢の一つは、金銭を出して買い集めたものが極めて少ないということだ。ほとんどの植物が私たちの苦心採集したものなのである。
ただ、まだまだ未植栽のものが多い。植栽困難のものは仕方がないけれども、可能の限り研究して、これからも努めてゆきたいと考えている。
それから、特に本校萬葉植物園のために数多くの植物を寄贈して下さった方がおるので、ここに芳名を記して感謝の意を表わしておきたい。
大賀 一郎 氏 東京都 ハス
阿形 一三 氏 桐生女子高校教諭 カタクリ
狩野 半平 氏 渋川女子高校教諭 カツラ
戸部 正久 氏 前橋高校教諭 ヨグソミネバリ
北沢 浅治 氏 県立盲学校教諭 ヤマザクラ、コブニレ、シラカバ
森田 一三 氏 市内羽附 アラガシ、ヤマブキ、マキ
坂村太一郎 氏 市内羽附 アセビ
大橋 竜定 氏 市内当郷 ホホガシワ、シキミ
鈴木 杲雄 氏 市内大島 センダン
塩沢 たい 氏 市内谷越町 サネカズラ
内田農園 埼玉県美園村 ミツマタ
妙義愛樹者 県 民 ハマユウ、メタセコイヤ、セコイヤ
宇賀神三郎 氏 市内小桑原 モミ
山本 純子 氏 東京都 シダレヤナギ
新居 福男 氏 市内内伴木 ヒオウギ
飯塚 博久 氏 市内足次 ウメ
柿沼弥太郎 氏 市内近藤 カラタチ
大 賀 蓮
特に私たちを感激させたのは、
「前略 本日読売新聞を拝読いたしました処、御校にては今度萬葉植物園設置の由御喜び申上げます。私も外国種其他80種撫育いたしております。差当りハマユウ、メタセコイヤ、セコイヤ御送り申上げますから、御手数ながら御植え賜われば幸と存じます。活着する様祈念いたします。」
(松井田局消印・昭和32年6月6日)
このような端書を添えてハマユウなどを送ってくれた「妙義愛樹者」という匿名の方の好意である。
なお、蓮博士で著名な大賀一郎先生から、二千年前の蓮の実につながる蓮が贈られたのはなにより有難かった。
萬葉植物園入口
標柱と立札
植物園の入口に立つ標柱は、高さ2米余、幅25糎の角柱で、正面左右の三面に「群馬県立館林高等学校 萬葉植物園」と書かれた文字は、書家として有名な本校国語科教諭佐藤登一先生の書である。
また、萬葉植物の一つ一つの前に立つ立札の萬葉歌は、国語教科書に採られている歌を中心になるべく人口に膾炙した有名な歌を中心に選んでおいたつもりでいる。
植物管理と水漕の計画
敷地のところで触れておいたが、折角このように立派な萬葉植物園が完成しても、夏ともなれば雑草になやまされる。除草には生徒を動員して万全の対策を講じているわけだが、この除草に伴なって、アカネ・スベリヒユ・ヨモギなどが序で除草の対象となってしまった笑えない失敗もあるので、草本類の管理には心してゆかねばならない。暖地性のハマユウは寒さに弱いので、越冬にはかなり苦心を払っている。また特に一考を要するのは、水生植物である。ジュンサイ・ヒシ・ハス・マコモ・フトイ・アシ・ナギ・セリ・イネなどを水瓶に植えたが、大部分枯死してしまったので、やはり完璧な水槽が必要のようである。ジュンサイは校長室前の水槽に移しきりになっている始末だった。
そこで、これら水生植物の適切な管理植栽のために、昨冬12月に水槽の計画を立てた。場所は東南の植込区をあて、巾3尺・深さ4尺の水槽をいくつかに中仕切りにして、それぞれに植えていく、こういう計画のその一つの水槽がこの2月に完成した。この水槽をもう一つ造ること、未植栽植物の移植に力を入れることが、これからの仕事になっている。
造園の予算
最後に、この萬葉植物園を造成するについての予算は、趣旨に賛同されたPTAから20万円を拠出していただいた。
その後、水槽の設置や周囲の生垣根などの整備に10万円程度の予算を学校や生徒会などから都合していただいている。
(半田記)
この文章は、昭和36年11月3日発行、昭和56年12月6日再発行された「館林高校萬葉植物園」(編集人:半田雅夫先生)からの一部転載である。