旧 校 歌
制定 : 昭和9年9月10日
作詞 : 中村 孝也(歴史学者・文学博士)
作曲 : 井上 武士(作曲家 群馬県勢多郡出身)
一 東筑波の雲晴れて 昇る朝日の爽けく
西玲瓏の富士の嶺に 傾く月の影清し
一たび起てば八州の 山川指呼の裡にあり
(復唱)微妙なる松風 静かにかよふ
我等の学び舎 そびゆる甍
二 眼も遙かなる広野原 長江万里果てもなく
溶々として流れ行く 末はかすみの夢の空
利根のほとりに舟浮けて 小手うちかざす思かな
(復唱)うき世の波風 たち騒ぐとも
我等のゆくてに かがやく希望
三 秀麗の気の凝るところ 昔を偲ぶ大谷原
偉人の気魄身にしめて つどへる健児数五百
時代の駒に鞭揚げて ただ一筋に進むなり
(復唱)いざ往けわが友 皇国につくす
我等をさへぎる 何ものありや
昭和9年制定の「旧校歌(館林中学校歌)」の歌詞が、学校の実情に合わなくなったため、昭和36年5月17日に、創立40周年記念事業として、下記の「新校歌」が制定されました。
新 校 歌
制定 : 昭和36年5月17日
作詞 : 佐藤 春夫(詩人・作家)
作曲 : 信時 潔(作曲家)
一 名山四方を取りめぐり
ふるさとの野べうるはしき
秀麗の地に偉人出づ
競ひて励むわが友よ
岡には燃ゆるつつじ花
男の子の意気はここに見る
二 八州の野の大谷原
校庭ひろく野につづく
頼もしきかなわが選手
天下に誇る技多し
岡には燃ゆるつつじ花
男の子の意気はここに見る
三 軽薄を忌み質実の
祖先の風を慕ふなる
我ら誠実に生きんとす
さもあらばあれ世の相
岡には燃ゆるつつじ花
男の子の意気はここに見る
佐藤 春夫 先生 講演記録
(昭和35年12月9日)からの抜粋
『自信のある生活者であれ』
「先日校長先生(8代校長 笠原 治久 氏)がおいでになって、校歌作製を依頼されました。私は全国の各地の学校から校歌を作るように頼まれますが、縁故のないのは断っております。しかし本校とは聊か縁故がありますので、その縁故を話して引き受けることにしました。その縁故というのは50年も古い事ですが、私には兄弟三人おりまして末弟がドイツ協会に入った時、館林に遠足をしました。そして茂林寺やつつじを見て大分面白かった、すばらしかったと話をしてくれました。それを聞いて何とか行ってみたいと思っていたのですが、行けませんでした。それから30年もたったが、忙しく、弟は慶応大学の医学部を出ましたがとうとう亡くなりました。館林は私の20歳頃から来たいと思って来られなかった懐かしい地であり、思い出の地です。そうした思い出によって依頼の校歌を引き受けたのです。皆さんにとっても満足の校歌が出来たら、亡き弟が作らせたのだと思っていただきたい。私もそういうつもりで作りたいと思います。」 (以下略)
応 援 歌
制定 : 昭和33年7月10日
作詞 : 半田 雅男(母高OB 国語教諭 S26.4~37.3在職)
作曲 : 原 秀夫(母高OB 音楽教諭 館林三小校歌作曲)
一 利根渡良瀬の清き水
ゆたかにそそぐ東毛に
伝統ほこる館高の
健児の意気の昂るとき
勝利の女神ほほえまん
館高 館高 ふるえ館高
二 真紅のつつじ咲く丘に
青春の血は火と燃えて
きたえしこの脚この腕
ああ闘魂の湧くところ
館高健児の技を見よ
館高 館高 ふるえ館高
三 筑波の雄姿朝明けて
精気は通う大谷原
松吹く風にさんぜんと
覇権の旗はひるがえる
ああ常勝の健男児
館高 館高 ふるえ館高
館林中学校開校の歌
大正10年5月17日 開校記念式典
曲調 : 『 嗚呼玉杯 』
作詞 : 井上 確太郎(国語教諭 T10.4~11.3在職)
一 爛漫花に迎へられ
翠緑天地に匂ふ日に
我校ここに開校の
祝賀の式ぞ挙ぐるなる
聞けやみ空の鳥の声
祝うか嬉し今日の日
二 理想は富士のいや高く
浅間が嶽に燃ゆる日の
凛々しき意気を養ひつ
世の興廃に鑑みて
報国尽忠一すじに
心の駒に鞭うたん
三 朔風朝に吹かば吹け
赤城の山の動きなし
ただ一心に身を鍛え
荒波夕に寄せば寄せ
利根の川波清きこと
心の塵をすすがなん
四 ああ我校の盛衰を
担ふは我等の双肩ぞ
堅忍不抜たゆみなく
善美の校風作り成し
我が館中の誉れをば
末の代かけて伝へなん